自分の最後を考える⏳(暇だから?)
ようやく寒さが和らぎ、春がやってきている。
梅が咲いて
近所で1月24日撮影 かなり早い?
「梅は咲いたか 桜はまだかいな」
桜は入学式のように、明るい旅立ちのイメージもあるが、
私は、歳を取ったせいか、「桜散る」から「花の散り際」なんとなく人生の旅立ちを想像してしまう。
昨年も、何故か3月には、人生の終い方のブログを書いていた。
寿命は、自分で選べないが、良い死を考えることは大事だと思うのです。
死は、敗北ではない、誰にも訪れる自然なこと❓
そして、どんな人でも、最後は、人の手を借りるようになる。
独りで生きる人が増えているけど、最後はどうするのだろう?
「どうにかなるさ」は、無責任!
何とかなると、モノを沢山残す人は、自分の親の後始末をしていない人?
自分がしてないから、大変さが分かっていない?
(親の介護もしていない、実家の始末もしていない人って暢気?)
大量のモノを残されても、困るのだ。
お金で業者さんに頼むと、思い出も、すべて乱暴に、ゴミにされる。
そんな悲しい寂しいことはない。
(自分で自分の人生を、丁寧に始末したい)
やはり、家族は居た方が良い。
結婚しなくても、子どもが居なくても、親戚や信頼できる友は居るはず。
面倒でも、人付き合いは大事だと思う。
吉沢久子さんも、甥や姪と親しくされていて、最後の入院までお世話になった。
私の叔母も、ずっと一人暮らしだが、心配はない。
最近、ホームに入居したが、近所の甥姪が世話をした。
皆が、公的なものに頼るようになったら、日本はどうなる?
老婆心で心配してしまう、ばば(老婆?)です。