良く語られる定年後の夫の昼食問題、朝と夜は仕方ないが、昼の食事まで作るのは面倒だと言うことか? 私も夫も働いていた時は、職場で仕出しのお弁当を取ったり、近くにランチを食べに行ったり、好きにしていた 私が先に退職して専業主婦になってからは、だいたいお弁当を作って持たせてやった 退職して、健康保険だけは、夫の扶養には入れたので感謝の意味で(笑) 夫も家にいるようになってからは、お昼は一緒に食べる ど…
幸福な老後を送るために大事なのは健康。 食事とか、運動とか、毎日TVで観ない日はない。 両親の食事については前に書いたが、好きなものを好きに食べるだけ。 運動もしたことはない、田舎だからどこでも車で出かける、父は91歳まで運転していたし、車検で新車を買うと言った、私と弟で必死に止めて廃車にした。 今でも、免許の更新はしている。 ただ、広い家だから、二人とも1階と2階を昇り降り、庭の手入れで良く動…
長い老後のためには、投資が必要なことは、今は常識? 我が家もいろいろな投資をしてきて、失敗したことも成功したことも 株は長期投資が基本なので、上げ下げに一喜一憂はしない 一番大きな失敗は、夫じじが、自分の退職金のほとんどをつぎ込んで買ったT電の株、 退職金はすべてじじにあげたから、じじは配当の良さに惹かれたらしい (私なら分散投資するが?) そうしたら、あの天災、じじは、これで数千万(大きい声で…
父は65歳で退職してから70歳くらいまでは、自分で頼まれた仕事を少しだけ続けていた。 (身体を動かし、ボケ防止にもなる) 夫じじは64歳で退職し、1年間は自分の人脈で仕事をしていた。 技術屋だから、海外が中心、現役時代より忙しく、月に3,4回も飛び回る生活で疲れてしまって、きっぱり辞めてしまった。 (その時の収入は多かったが、今は時々アドバイザーみたいなことをして謝礼は少々) それからは、海外旅…
私ばばは、60歳の定年まで仕事を続けた 夫じじはサラリーマン、転勤もあった、こどもも二人、昔は育休なんてない、産休だけで、産後2ヶ月で復帰した、 保育園も1歳過ぎなければ入れないし、9時〜4時だった 母はじめ、近所や、沢山の色々な人の助けで何とか続けられた 今思えば、若かったからできたし、貧乏な夫との結婚に反対された意地もあった もちろん、単身赴任が長かった夫じじも大変だったと思う お蔭で、二人…
幸福な老後に必要なモノは3点、お金、健康、人間関係に恵まれること。 両親を観ていると、本当にその通りだと思う。 中でも、一番大事なのは、お金、お金が無ければ、健康も、良い人間関係も手に入れるのは難しい。 両親の家計管理は母がすべて担っていた 父は真面目に働いてはいたが、家計は母任せ、無責任 (最後まで、自分のお金が幾らあるか知らなかった) 好きなものには我慢せず使う (お金がなくても関係ない) …
私の父はかなり個性的、つまりかなりの変人だと思う。 戦後のどさくさで結婚した時も、私が生まれた時も、無職だったらしい。 まあ、無職の男と結婚する母も、かなりの者だが。 そして、何とか安定した職に就いて、何とか定年まで勤め上げたのだが、転勤が当たり前の仕事で、断固転勤拒否、首にはならなかったが出世もしなかった。 そして、世の中の常識と言うものを、全く気にしていなかった。 行事は嫌い、元旦でさえも3…
私は、60歳の定年まで都内で仕事をしていたので、故郷の両親の事は気になりながらも、年の割にはしっかりしていると安心していたのです。 (会話では調子よくしっかりしていた) 定年後、やっと、時間が出来て、母の入院、ホーム入居の手続きや準備に4か月ほど実家に滞在しました。 綺麗好きな母は、目に見える所は、片付いているように見えました、 (認知症は、取り繕う⁉) ところが、衣替えをしたと言っていたのは・…
今日の夕食はステーキでした。年寄はお肉を食べないと・・・ もちろん、私の好きな「特価」「お買い得」「日替わりサービス品」です。 100グラム500円で250グラムを二人で頂きます。 みついし牛(日高産)と書いてありました。 北海道の牛さんです、美味しゅうございました。 この頃は、年のせいかあまり見事な霜降りのお肉は途中で嫌になってしまうのです。 あまりサシの入っていない赤身のお肉が良い。 もちろ…
はじめまして、ばばちゃんです 娘がこう呼ぶし、実際孫がいるばあさんだけど、自分ではたぶん10歳は若く見える つもり⁈(笑) 早生まれだから正確には70歳にはなっていないけど、同級生は皆70歳 古稀と言うけど、今は稀でなく当たり前、老人会では若手(笑) 2歳上の夫じじと暮らしています 悠々自適と言うけれど、100歳98歳の両親が健在ですし、 結婚の遅かった娘のチビ孫娘は居るし、 じじは入院するし…