定年バンザイ!人生の最高に幸福な時

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NHK日曜美術館でベルギーヘントの祭壇画を観て平和を願う🐏

<神秘の子羊と礼拝者たち>
134.3 cm x 237.5 cm の中央パネル部分


『ヘントの祭壇画』または、『神秘の子羊』は、板に油彩で描かれた初期フランドル派絵画を代表する作品の一つで、ベルギーヘントのシント・バーフ大聖堂(聖バーフ大聖堂)が所蔵している。
複雑な構成で描かれた12枚のパネルで構成されており、そのうち両端の8枚のパネル(翼)が畳んだときに内装を覆い隠すように設計されている。
これら8枚のパネルは表面(内装)、裏面(外装)ともに絵画が描かれており、翼を開いたときと畳んだときとで全く異なった外観となって現れる。
『ヘントの祭壇画』は、日曜日と祝祭日以外の日には翼が畳まれており、さらに布が掛けられていることも多い。
ばばが行ったのは、 昔、2013年5月だが、開いたところもしっかり見たので、日曜日だったのか?
(写真撮影は不可)

<翼を畳んだ状態>


<翼を開いたとき>


『ヘントの祭壇画』の制作を開始したのは、その生涯も作品もほとんど伝わっていないフランドルの画家フーベルト・ファン・エイクである。
フーベルトがデザインのほとんどを完成させたと考えられているが、フーベルトは製作途中の1426年に死去してしまう。
その後、未完だった『ヘントの祭壇画』の大部分を、1430年から1432年にかけて完成させたのがフーベルトの弟であるヤン・ファン・エイクであると言われている。


『ヘントの祭壇画』の保管場所は数世紀の間に幾度か変わっている。
最初の公開以来13回にわたって何らかの被害に遭い、7回にわたって盗まれた作品だそうだ。
1945年に、ベルギーに返還されたが、顔料、ワニスが大きく損傷しており、長年、修復が行われていた。
TVでは、修復後の子羊の顔が、変わってしまい、前のほうが良かったとの、専門の研究者や山崎マリさんの話が興味深かった。


私は、ただ、美しい色彩と光の力と細密さを、素晴らしいなあと観ていただけだったが、この絵の辿った、苦難の歴史を聞いて、改めて、良く残ったものだと、感慨深かった。


フランス革命のあと、ナポレオン1世がフランス皇位に就き、戦利品と称してヨーロッパ諸国から多くの美術品を略奪した。
『ヘントの祭壇画』もフランス軍に略奪された絵画作品の一つで、パリへと持ちこまれてルーヴル美術館に展示される。
その後、返還後も、売られてロンドンに行ったり、ベルリンの絵画館に展示されたり、アダムとイヴのパネルがブリュッセルの美術館へと送られたり、変遷する。
第一次世界大戦時に、大聖堂に残されていたパネルがドイツ軍に略奪されたが、1919年に締結されたヴェルサイユ条約で略奪されていた全てのパネルが返還された。
さらに、第二次世界大戦時、安全に保管するため、ベルギーからヴァチカンへ預ける移送途中に、ナチス・ドイツが略奪し、ノイシュヴァンシュタイン城に運び、オーストリアの岩塩坑に隠匿していた。
第二次世界大戦終結後にアメリカ軍が『ヘントの祭壇画』を発見し、1945年にベルギーへ返還されたのだ。


戦争は、文化や、美術作品にも、大きな被害を及ぼす。
平和は、大切なのだ。 


<内容参考> および <写真>は
ウィキペディア(Wikipedia)より


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